遅い昼食を済ませ、ココポ Kokopo 周辺を観光することに。
ブナポペ教会 ローマカトリック教会系。ガイドさんは何も言わなかったが、ネット情報によると、ここは日本軍の元兵站病院跡とのこと。


ココポ博物館
屋外には、各地から集められて来たと思われる第二次世界大戦時の色々な物が。
解説板によると、このココポのあるニューブリテン島のジャッキノー湾 Jacquinot Bay で発見された「Japanese Sekai 12 Radial Engine」とのこと。 Nakajima とあるので、中島飛行機、つまり富士重工、今のスバル。
零式艦上戦闘機、つまりゼロ戦
博物館の建物の内部には、この地方のお祭りの衣装などが展示されていた。バイニン族のマスクも置いてあった。実際の様子はパプアニューギニアトラベルガイドより画像を拝借したのだが、夜に行われる火祭りで使うマスク。


写真や署名書などもあったが、どうやら日本軍が降伏して署名している時のよう。今村均陸軍大将、草鹿海軍中将のサインも。草鹿任一の wikipedia には、
「終戦の際、連合軍側は降伏文書調印の代表者として今村大将を指名するが、草鹿は『海軍は陸軍の指揮下に入ったことはない。建軍の本筋から考えて陸軍には海軍の降伏調印の権限は有さない』と頑なに主張し、海軍側の代表者として今村と連名で調印した。 」とあるのは、この署名のことかなと。


博物館を後にして、クイーン・エマの住居跡へ。アメリカ人の父とサモア人の母を持つクイーン・エマは1870年代に初めてニューギニアでヤシのプランテーションを行い財をなした。が、大邸宅は第二次世界大戦で破壊され、今は階段しか残っておらず、屋敷跡にはゴルフコースやクラブハウスが。
ラバウルやココポなど、この界隈には日本軍の飛行場が5か所あったのだが、ここもそのひとつで滑走路があったとのこと。

ホテルに戻って晩御飯を。
例によって、SPのエクスポートホワイト缶のデザイン缶を、ウェイトレスのお姉さんに探して来てもらった。あいにく未見のものは1種類だったのだが、冷たく冷やしておく為のケースがデザインされたものがあったので、それも持って来てくれた(笑)






翌日は、ラバウルを観光。その様子は<16>で。
コメント
コメント一覧 (4)
燃料タンクの防弾施しているかの差も大きくて あちらの爆撃機は機関銃で蜂の巣になっても飛んでいるのに こっちはすぐに
な~が nagacumatz
が
しました
ほとんどスクラップのようにも見えますが、現地の人は保存しておきたいものなんでしょうか。
な~が nagacumatz
が
しました