ラバウルを観光。

大発格納庫 Japanese Barge Tunnel
大発とは日本海軍の大型発動機艇の略で上陸用舟艇として、食料や弾薬を運ぶ為のもの。その防空用格納庫が、海から200メートルも離れた山にあった。海からここまでレールが敷かれており、トンネルにその大発が格納されていて、引き出せるようになっていた。5艇も一直線に収められている。
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火山観測所
展望にも適した火山観測所へ。(この地図はOSUから拝借し加筆。)
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ラバウルの中心部のすぐ噴火で出来た湾のリム(火口の周囲)に火山観測所がある。この地図にあるように、いくつもの火山があり、1937年に、ラバウルとココポの間に位置するヴァルカン Vulcan 山とラバウル南東の赤い←の先のタヴルヴル Tavurvur 山が噴火し、507名が死亡。市街は灰に覆われた為に首都をレイ(ラエ)に移転。1942年1月23日に、日本軍がラバウルに侵攻し、南太平洋戦線の補給基地の建設を開始。直後には、ラバウルのあるガゼル半島に約9万人もの日本人将兵がいたが、連合軍によりラバウルは徹底的に破壊され、1945年終戦時のラバウル中心地は瓦礫の山に。
1994年には再ヴァルカン Vulcan 山とタヴルヴル Tavurvur 山が同時に噴火し、ラバウル空港は放棄され、南東に20キロ離れたココポ Kokopo に新空港と政府機関が移転。その後も、2006年、2014年に噴火し、付近住民は避難。国際線ルートの迂回なども起こっている。
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沈没した日本船
連合軍によって沈没し、乗組員は全員死亡。その船底?に乗ることも出来てしまう。
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その隣にもずっと後世に沈没したと思われる船も放置されていて、何故だかそこに住んでいる人も!
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山本バンカー Yamamoto Bunker
南東方面艦隊と第十一航空艦隊司令部の前進指揮所の跡。1943年4月18日にブーゲンビル島で撃墜された山本五十六海軍大将が、その前日までの数日餡をここで過ごした場所。
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入り口には、九六式25粍3連装機銃と言われるものが。
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地下に入っていく。1994年の火山の噴火で、このエリアも火山灰に覆われたが、入り口界隈は掘り出されたとのこと。戦後に壕の内部に新たに壁を作って封鎖されたので、今は狭いエリアしか見学出来ないそうだが、地図などのある部屋などは本当に狭い。
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この地図や書き込まれた文字は消さないよう白いペンキが塗られている。文字は・・・とみると、1981年や平成17年など表記がさまざまで、それぞれその時に日本の方が巡礼に来られて記入されたもののよう。
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南太平洋戦没者の碑 Japanese Peace Memorial
1980年に日本政府や戦友会、地元の協力で建立された平和記念碑。
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ラクナイ東飛行場跡
日本軍が造った飛行場として、数多くの零戦が飛び立って行った。1994年の噴火まで使用されていたラバウル空港の跡地。今は火山灰だらけで高木も生えていない。
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1994年に大噴火を起こしたタヴルヴル Tavurvur 山が間近に。2006年・2014年にも噴火し、今も少しだが白い煙があがっている。
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近くで中華のランチを。
例によって、また新しいデザイン缶を一種類発見!
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シーフードのココナッツ炒めと、ホット&サワースープを。中にはたっぷりヌードルが入っていた。
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この後は展望台や西飛行場跡やマーケットに。その様子は<17>で。