彫刻の森美術館の入り口界隈を楽しみ(その様子は<1>で)、円形広場へ。
磨き上げられたブロンズの球体の裂け目から内部が見えるが、外側とは対照的。ポモドーロはモニュメンタルな彫刻作品を制作するかたわら、オペラや演劇の舞台美術のデザインもしていた、戦後イタリア彫刻界を代表する巨匠の一人。斜面に置かれているので、あたかも転がり落ちそう。
●ジュリアーノ・ヴァンジ(イタリア)「偉大なる物語」2004
●サンディアゴ・デ・サンティアゴ・エルナンデス(スペイン)「抱擁」
●フランシスコ・ズニガ(コスタリカ)「海辺の人々」1984
●高田博厚「海」1962


●イガエル・トゥマルキン(イスラエル)「私の7本の知恵の柱 箱根へのオマージュ」
●ウジェーヌ・ドデーニュ(フランス)「オーロラ」1981


●ジュリアーノ・ヴァンジ(イタリア)「偉大なる物語」2004
●ケネス・アーミテージ(イギリス)「両腕」1969-70
1961年に旧東西ベルリン境界線に壁が築かれ、政治的に緊張した時期で、1967年から2年間ベルリンに滞在した後に作られた。


●サンディアゴ・デ・サンティアゴ・エルナンデス(スペイン)「抱擁」
●マックス・ビル(スイス)「パヴィリオン彫刻」1969 マックス・ビルは、ヴァイマル共和制期ドイツのヴァイマルに設立された美術と建築に関する総合的な学校であるバウハウスに学んだ最後の一人と言われている。構成原理は徹底した数学的なもので、12個の花崗岩が単純な立体構造に沿って積まれている。


●フランシスコ・ズニガ(コスタリカ)「海辺の人々」1984
●ニコラ・シェフェール(ハンガリーーフランス「空間力学 No.22」1954-80


●ハンス・エッシュバッハー(スイス)「フィギュールI」1969
●マルティン・マッチンスキー&ブリジット・マイヤー・デニングホフ(ドイツ)「シュトルム」1980
「シュトルム」とは、暴風、騒動、突撃などを意味するドイツ語。暴風雨に枝を落とされ、幹も傾いてしまった大木を表わす作品。デニングホフはムーアらに師事し舞台美術も手がける女性彫刻家だったが、舞台俳優だったマッチンスキーはデニングホフに出会って彫刻家に転身した。
ステンレスを使って電気で動かしている。この作家は、金工を東京芸術大学で学び、ディスプレイの仕事の後、彫刻に転身。日本を代表するキネティック・アートの作家。



●高田博厚「海」1962
●朝倉響子「女」1970
●本郷 新「鶏を抱く女」1962
●井上武吉「マイ・スカイ・ホール」 彫刻の森美術館を設計した。彼の作品は、本館ギャラリー外にも(その様子は こちら)球の真下から見上げると、球が全てを映し出している。そばには、「天への道」もある。(画像にはないが)
この美術館の10周年を記念して制作された作品。流は、1958年に、彼自身が「ワレハダ」と呼ぶ、叩き割った原石そのままのようなごつごつした表面と、磨きあげた石の表面が一体となった彫刻を発表、その簡潔なフォルムと自然を生かした技法、奥深い精神性がまずアメリカで高く評価された。
キャンバスを張った帆のフォルムは、風の流れや抵抗が綿密に計算され、どんな風も逃がすことなく動く。風や水の流れなど、目に見えない自然のリズムを動きに置き換えたキネティック・アートの作家。
戦後間もないパリで20年ほど住んでいた作家。人間の不条理や戦争批判などがテーマ。
ダイアモンドの分子構造を母体として4本の手足を持つ炭素原子を人体に置き換えて構成。美ヶ原高原美術館の「ダイアモンド構造」の制作の後、姉妹作であるこの作品を制作。黒い男性像と赤い女性像が各72体、合計144体の群像からなる。
「ネットの森」「しゃぼん玉のお城」「森のアトリエ」などは、<3>で。
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