国民が議会を通して、国民による国民の為の美術館を造ることとなり、1824年に設立されたロンドンナショナルギャラリー。市民の寄贈や寄付により、今でも入場無料。年間600万人が訪れる近代の美術館の模範となった。
今回、日本に来るのは61作品なのだが、史上初の大規模貸し出しで、全て初めて日本で公開される絵画ばかりなのだそう。(画像は全てHP等から)
1 イタリア・ルネサンス絵画の収集
ルネサンスとは、「中世=神が中心」の世界観から「人間中心の世界観」に変わることで、昔は別の世界観があったと気付き、「ルネサンス=再生 古代ギリシャ・ローマ文化の再生」へと価値観が変わっていく。
美術では、人物の大きさは神学上神様が一番大きく描かれたが、宗教画も神様がリアルに描かれていくようになった。遠近法や陰影法、解剖学的な正確さ等が追求されるようになり、西洋絵画の基本がルネサンス時に確率された。
初代館長のイーストレイクが、それまでは完成されていない芸術としか考えられていなかった初期ルネサンスの良さに気付いて再評価。
パオロ・ウッチェロ「聖ゲオルギウスと竜」1470年頃
聖ゲオルギウス(=セント・ジョージ)の竜を退治し姫を助ける場面。聖人の光輪がなくなっているなど、キリスト教の宗教画らしくない。遠近法である線遠近法(透視図法)を出す為に、芝生が必要だった。ゲオルギウスの右上から、竜の左上から、それぞれ三角形の遠近法を使っている。ウッチェロはあだ名で鳥と言う意味。鳥の絵を描くのがうまいからウッチェロと言われていたのに、現在もう彼の鳥の絵は残っていない。この時代は絵は板に描かれていて温湿度に弱かったが、この絵は、カンヴァスに当時の最先端であった油絵で描かれている。クリヴェッリは個性の強い人で、人妻との不倫で有罪になり有名になったヴェネツイアの画家。
女性を描かせると妖艶で、右下のマリア様の指が細くて長い。左側に立っている大天使ガブリエルの頭の上の光輪が頭にくっついていたり、空からマリアに差す光は穴を通してマリアに降りて来ていたりと、現実的。普通の受胎告知はマリア様と大天使ガブリエルの2人しか描かれないのが普通だが、この絵の大天使ガブリエルの横には、聖エミディウスが描かれている。聖エミディウスはアスコリ・ピチェーノの町の守護聖人で、その町のジオラマを手に持っている。もともとその町は教皇領だったが、教皇から町に自治権が与えられたので、お祝いの為にこの絵が描かれた為。自治権が与えられた日が3月25日=受胎告知の日、と言うことで、キリスト教で喜ばれる受胎告知と重ね併せて描き、「教会の下の自由」と文字で下に書かれている。他の登場人物も、お知らせの手紙を読む人や知らせに気付いた人などと意味をなす。上空の鳩は伝書鳩を意味している。右上にある鳥かごにはゴシキヒワがおり、受難を受けているキリストを、横のクジャクはキリストの復活を意味している。画面の余白は残さず、モチーフに関連させて埋め尽くした絵画。手前にはキュウリとリンゴが、まるでだまし絵のようにあるのも面白い。
テンペラと油絵をミックスしている。油絵は油で絵の具を溶くが、テンペラは卵で絵の具を溶くので艶がありディテールを描くには良い。しかし、テンペラはあっという間に乾く為、この大きさの絵をテンペラで描くのは大変。線遠近法を使うが、奥をぼかす手法は未だ当時は発展していない。
ギルランダイオとは、ミケランジェロの師匠で、ダ・ヴィンチの兄弟子にあたるフィレンツェのフレスコ画の画家で多くの弟子を持っていた。
後ろの景色にぼかしが入る空気遠近法や、遠くの物は青く見えると言う色彩遠近法、マリア様の下には線遠近法、陰影の表現もリアルになってきている陰影法を用いている。人間の親子のような表現法で、ルネサンスの完成が見られる作品。
後ろの景色にぼかしが入る空気遠近法や、遠くの物は青く見えると言う色彩遠近法、マリア様の下には線遠近法、陰影の表現もリアルになってきている陰影法を用いている。人間の親子のような表現法で、ルネサンスの完成が見られる作品。
因みに、盛期ルネサンスを迎えた3大巨匠として、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロが出てくる。
復活したイエスが、庭師の格好をしていたイエスに触れようとしたマグダラのマリアに「ノリ・メ・タンゲレ Noli me tangere 我にふれるな」と諌める場面。
主題は天の川の誕生にまつわるギリシア神話の英雄ヘラクレスと女神ヘラ(ローマ神話のユノ)のエピソードから。ヘラクレスに乳を与えるため、ヘルメスは彼を眠っているヘラの寝所に行って吸わせた。しかし吸う力があまりに強く、ヘラは激痛で目を覚まし、ヘラクレスを払いのけたので、たくさんの母乳がこぼれ、天の川になった(wikipedia より抜粋)
子供の頃に買ってもらった星座の本に描かれていた絵で、何故だか鮮明に覚えていたのだが、まさか現物が見られるとは思っていなかったので、ひとりテンションが上がってしまった(笑)
2 オランダ絵画の黄金時代
オランダは、16世紀末に独立して貿易大国となり、中産市民階級が社会を造る。宗教改革でプロテスタントの国となった為、偶像崇拝はしなくなり、宗教画を描いていた画家は教画や神話画などではなく、風景画、肖像画、静物画にテーマを求めた。また、絵も市民の家の中に合うようにサイズが小さくなった。そして画家も、絵のジャンルごとのスペシャリストへと移行していく。
画家の自画像は以前は人気がなかったが、芸術家の社会的地位が向上し、購入者も画家の自画像を飾ることで、自分は芸術に興味がある文化人であると示すようになった。もともと、売る為に自画像を描いていたのではなく、レンブラントが24歳頃の自画像はあえてヘン顔をして難しい表情を描く練習をしていた。その後、自分の自画像が売れると言うことで自画像を描くようになる。結婚して独立し、34歳の頃はオランダNO1の画家として絶頂期にあり、2年後に「夜警」を描くなどしていたものの、夫人が亡くなり没落していく。
右腕を欄干の上に置いているが、デューラー(1498年)やラファエロ(1514~15年)やティツィアーノ(1510年)のそれぞれの肖像画で皆、腕を乗せていた為。又、100年前の衣装を着ているが、自分が100年前のルネサンスの大画家の後継者であると示す為。レンブラントのサインはファーストネームでサインしているが、イタリアのルネサンスの画家(ミケランジェロやラファエロ等)もファーストネームでサインしていたのでそれも真似ている。
右腕を欄干の上に置いているが、デューラー(1498年)やラファエロ(1514~15年)やティツィアーノ(1510年)のそれぞれの肖像画で皆、腕を乗せていた為。又、100年前の衣装を着ているが、自分が100年前のルネサンスの大画家の後継者であると示す為。レンブラントのサインはファーストネームでサインしているが、イタリアのルネサンスの画家(ミケランジェロやラファエロ等)もファーストネームでサインしていたのでそれも真似ている。
窓は閉じられていて、恒例となっている左からの光が指しておらず、光りは正面から当たっている。
小型の鍵盤楽器チェンバロであるヴァージナルの手前の足にちょんと白い絵の具が乗せられていて、光がこちらから差しているのがわかる。右奥の絵には、リュートを弾いている女、髭のおじさん、おばあさんの三人が描かれているが、売春宿での客と売春婦と取り持ち女と言う意味で、音楽は快楽の象徴だとその絵が示している。
小型の鍵盤楽器チェンバロであるヴァージナルの手前の足にちょんと白い絵の具が乗せられていて、光がこちらから差しているのがわかる。右奥の絵には、リュートを弾いている女、髭のおじさん、おばあさんの三人が描かれているが、売春宿での客と売春婦と取り持ち女と言う意味で、音楽は快楽の象徴だとその絵が示している。
しかし、青いドレスの女性は売春婦には見えず、カーテンの横にはヴィオラ・ダ・ガンバがあるので、こちらに立っている人に一緒に弾きましょうと促しているのではないか。一緒に弾くのは男なのか?と疑問を呈しただけで、フェルメールはあえて答えは示していない。
フェルメールの特徴であるハイライトをあまり使っていない為、この絵はそれほど高く評価されていないが、フェルメール最後の作品と言われており、新境地を開拓しようとしていた可能性もある。
アンソニー・ヴァン・ダイク「レディ・エリザベス・シンベビーとアンドーヴァー子爵夫人ドロシー」1635年頃
当時の人気女優さんで、着ているものも最先端のファッション。
フェルメールの特徴であるハイライトをあまり使っていない為、この絵はそれほど高く評価されていないが、フェルメール最後の作品と言われており、新境地を開拓しようとしていた可能性もある。
普通なら、フェルメールが大好きな日本人はこの小さな絵の前に群がるのだろうが、今回は日&時間指定のチケットにより観客数を制限していたおかげで、ゆっくりと見ることが出来た♪
それまでは低く見られていた風景画や静物画だったが、その地位が確立された。細密描写はオランダ・フランドルの伝統技。グラスに映り込んだ窓の描写など、非常にリアル。静物画では、どれだけ似ているかが競われていった為、あえて質感の異なる難しいもので高い技量を表そうとしていた。絵の中には、世界中の高級品が並ぶ。ロブスターやパンやグラスはオランダにあったが、レモンとオリーブは地中海、陶器は中国産、左端の紙からは東南アジアのコショウがこぼれていて、高価な物が表現されている。
3 ヴァン・ダイクとイギリス肖像画
それまではイギリスは絵画更新国だったが、18世紀は美術の黄金時代。肖像画と風景画が隆盛を迎えた。

ヴァン・ダイクは、ルーベンス工房の筆頭助手だった。英国王チャールズ1世がルーベンスをイギリスに招きたかったがそれはさすがに無理だったので、ヴァン・ダイクがイギリスの宮廷画家になった。理想化や盛り方がエレガントでうまい人。
貴族の姉妹で、姉ドロシーは未婚の為それを表わす白色のドレス、妹エリザベスのサフラン色は古代の結婚の色となっている。妹が婚約した期間に描かれたので、キューピッドから花をもらっている。神話の世界に出てくるような重要な人物だと言うことを表わしている。肖像画は伝統的にはひとりが基本だが、二重肖像画はイギリス人の好み。ヴァン・ダイクは、10年ほどしかイギリスにはいなかったが、憧れられ、イギリスの肖像画の出発点となった。
貴族の姉妹で、姉ドロシーは未婚の為それを表わす白色のドレス、妹エリザベスのサフラン色は古代の結婚の色となっている。妹が婚約した期間に描かれたので、キューピッドから花をもらっている。神話の世界に出てくるような重要な人物だと言うことを表わしている。肖像画は伝統的にはひとりが基本だが、二重肖像画はイギリス人の好み。ヴァン・ダイクは、10年ほどしかイギリスにはいなかったが、憧れられ、イギリスの肖像画の出発点となった。
産業革命が起き、名家だけでなく新興のお金持ちが現れる時代となると、カンヴァセーション・ピースと言われる、話しているような自然な雰囲気を示し、神話などではなくリアルを重んじる表現になる。この夫婦のみならず、夫人が乗っている馬と犬もお互いリアクションしているのが面白い。描かれているのは画家の友人夫婦で、当時この夫婦が借りていた自宅が背景にあり、男性の太ももにコインが入っている様子までが描かれている。画家と被写体との間にそんな遊びも出来る間柄で、それを絵画で表わすと言う新しさがある。
ヴァン・ダイクの「慈愛」をあてはめた作品。
レディ・コーバーンは裕福な牧師の娘として生まれ、20歳の時にサー・ジェームズ・コーバーンと結婚し、3人の子供に恵まれる。

ヴァン・ダイクの絵の方が、3人の子供がまとわりついて、神様~子育てが大変!と天を仰いでいるようだが(笑)
当時の人気女優さんで、着ているものも最先端のファッション。
18世紀には、お金持ちの卒業旅行としてイギリスの上流階級の子息がイタリアなどに旅行していた。
絵はがきやポストカードを持ち帰るように、画家に絵を描かせて持ち帰った。
絵はがきやポストカードを持ち帰るように、画家に絵を描かせて持ち帰った。
カナレット(本名ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)「ヴェネツィア:大運河のレガッタ」1735年頃
フランチェスコ・グアルディ「ヴェネツィア サンマルコ広場」1760年頃
クロード=ジョゼフ・ヴェルネ「ローマのテヴェレ川での競技」1750年
カナレットはヴェネツィアの画家だが、彼の絵はイタリアになくイギリスにばかり。最後はイギリスに呼ばれ、イギリスの風景も描いている。カーニヴァルの大運河のレガッタ・レースの様子を描いているが、写真のない時代なので、購入者の思い出としてリアルに描かれなければならない。ただし、運河の一番奥に描かれているリアルト橋は実際にはそこには存在せず、遠近法の都合で描かれた。イギリスの風景画に影響を与えた。
一番奥の建物の窓枠まで非常に精緻に描かれているのに対し、手前にあるゴンドラの先の模様などは一筆書きのように描かれているのが印象的だった。


左のバルコニーやその下には、綺麗に着飾ったイギリスからやって来たであろうグランドツアー客が見下ろしている様子が描かれている。
カナレットがイギリスに滞在中に制作された。背景のチャペルがイートン・カレッジ。イタリアに居た頃は構図などがいつもある程度決まっていたのだが、イギリスに行って違う手法になる。イートン・カレッジの周りの詳細は自由に描かれており、建物は非常に緻密だが、右下のバラの花などは即興的に描かれている。
ヴェネツィアの運河やサン・マルコ広場にしろ、サンタンジェロ城のあるローマにしろ、観光名所を描いていて、確かに絵葉書状態だなと。
続くスペイン絵画や、フランス絵画などは追って。
尚、楽しく解説されている こやぎ先生の YouTube があるので、ご参考まで。
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