国立西洋美術館の<常設展1>からの続き。年代順に見て回れるようになっているので、わかりやすい。昨年、松方コレクション展 で見た時の様子は <松方1> <松方2>、その時の常設展の様子は <常設1> <常設2>。今回はその時に載せなかったものを。

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パオロ・ヴェロネーゼ「聖女カタリナの神秘の結婚」1547年
右側の女性が、4世紀頃にアレクサンドリアに居たと言われる聖女カタリナ。ヨセフ、マリア、キリストの所に来た様子。高貴な家の人で、キリスト教を迫害していたローマ皇帝が聖女カタリナに求婚したが、私はキリストの花嫁だからと断り(「神秘の結婚」と言われる)、送り込んだ学者全員を論破してしまった為、ローマ皇帝は激怒。釘を打った車輪で聖女カタリナを轢いたが死なず、首を切ったところ、血の代わりにミルクが出たと言われている。
ヴェロネーゼの生地ヴェローナで描いた初期の作品。左上にヴェローナの有力貴族の2つの紋章があることから、1547年に両家の間で結ばれた結婚を記念して制作されたものと考えられる。

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ヤコボ・デル・セッライオ「奉納祭壇画:聖三位一体、聖母マリア、聖ヨハネと寄進者」1480年頃
妻と娘の冥福を祈る為に、夫が教会に奉納した祭壇画。上には神・精霊・キリストの聖三位一体、十字架の足下には母親と娘の遺体が描かれ、両側には奉納者とその息子、聖母と聖ヨハネが描かれている。フィレンツェの町を背景とし、山の斜面に聖書の物語場面も描かれている。15世紀後半のフィレンツェ派の様式。

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アンドレア・デル・サルト(本名アンドレア・ダーニョロ・ディ・フランチェスコ)「聖母子」
1516年頃
フィレンツェの盛期ルネサンスを牽引し16世紀を通じてフィレンツェの美術に大きな影響を与えた画家。成熟期の作品で、画家の妻をモデルにしていると考えられる。幼児キリストの顔は実際の子供をモデルにしているが、筋肉質な肉体は同時代の彫刻と共通している。この構図と同じ作品がカナダのオタワにあり、同時期に制作されたと考えられている。

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオと工房「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」1560-70年頃
新約聖書にある、ヘロデ王の娘サロメが、宴で踊りを披露した褒美に手に入れた洗礼者聖ヨハネの首を、お盆に載せて差し出す姿が描かれている。ティツィアーノの晩年の作品で、工房がある程度まで描いた後、鮮やかな色彩や服や装飾品を大幅に書き直していることがX線写真からわかるのだそう。特に、サロメの右腕や侍女の首などはティツィアーノの筆による。

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ヨース・ファン・クレーフェ「三連祭壇画:キリスト磔刑」16世紀後半
開閉可能なパネル式の祭壇画。クレーフェは16世紀全般にアントウェルペンで活躍した画家。広大なパノラマ風景の中に細部を綿密に描き込んだ風景描写は、16世紀フランドルの風景画の特色が良く表れている。

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ヨアヒム・バティニール(派)「三連祭壇画:エジプト逃避途上の休息」1485年?ー1524年

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ルカス・クラーナハ(父)「ホロフェルネスの首を持つユディト」1530年頃
2018年度に西洋美術館が購入した絵画。
ドイツのルネサンスを代表する画家クラーナハが、自らの芸術の中核的な主題のひとつである「ユディト」を描いた貴重な板絵。美貌と酒によって敵将ホロフェルネスを酔わせて斬首し、故郷ベトリアを救ったとされるユディトが描かれている。

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●「悲しみの聖母」「荊冠のキリスト」ディルク・バウツ派 15紀後半 油彩
西ヨーロッパ・フランドルの移動式の2連祭壇画。即席の祭壇が作られるように持ち運びに便利な形となっている。購入時にはばらばらで、キリスト画は1980年、マリア画は2007年に購入。裏面に書かれた記述が全く同じだった為、2つの祭壇画が元々一対だったことがその時に初めて確認できた。

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マールテン・デ・フォス「最後の晩餐」1532-1603年

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レアンドロ・バッサーノ「最後の審判」1595-96年頃

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ヤン・ブリューゲル(父)「アブラハムとイサクのいる森林風景」1599年
(美術館内のライトの反射がきつく、全体画像はHPより拝借)
ピーテル・ブリューゲル(父)の次男のヤン・ブリューゲルは、板に油彩で細密に描いた。一見風景画だが宗教画であり、宗教画と風景画の融合が当時のフランドルの特徴。
ロバの上に乗っているのが父のアブラハムで、その右のピンクのシャツは息子のイサクで、モリアの地へ旅する場面。神様がアブラハムの信仰心を試す為に、アブラハムの晩年に出来た息子のイサクを犠牲に捧げるようにと言い、アブラハムは了解する。イサクも自分を焼く為の薪を持っている。最後には天使が降りて来て、アブラハムの信仰心は揺るぎがないと証明され、息子は救われると言う話。
 
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バルトロメオ・マンフレーディ「キリスト捕縛」1613ー15年頃
イタリア人画家のマンフレーディは、1610年代のローマにおいてカラヴァッジョの絵画形式を若手画家達に伝えた指導的存在だった。キリストを裏切ったユダが、誰がキリストなのかを示す為に彼に接吻する場面が描かれている。構図は、ダブリンにあるカラヴァッジョの同じ主題の作品を反転させたもの。

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●バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「聖フスタと聖ルフィーナ」1665-66年頃

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ヘーラルト・ダウ「シャボン玉を吹く少年と静物」1635-36年頃
17世紀オランダの初期の作品。シャボン玉、どくろ、砂時計などのモチーフは、人生の虚しさ、無常観を暗示する「ヴァニタス」を表わしている。シャボン玉で遊ぶ少年には翼があり、亡くなった少年を天使として描いていると思われる。モチーフの精緻な描写から、ライデン派緻密画の祖となる。
ヴァニタス(ラテン語: vanitas)とは、寓意的な静物画のジャンルのひとつ。
ヴァニタスとは「人生の空しさの寓意」を表す静物画であり、豊かさなどを意味するさまざまな静物の中に、人間の死すべき定めの隠喩である頭蓋骨や、あるいは時計やパイプや腐ってゆく果物などを置き、観る者に対して虚栄のはかなさを喚起する意図をもっていた。 16世紀から17世紀にかけてのフランドルやネーデルラントなどヨーロッパ北部で特に多く描かれたが、以後現代に至るまでの西洋の美術にも大きな影響を与えている。(wikipedia
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コルネリス・デ・ヘーム「果物籠のある静物」1654年頃
コルネリス・デ・ヘームは、17世紀のネーデルラントを代表する静物画家のヤン・ダフィッツゾーン・デ・ヘームの息子。オランダでは、庶民が静物画を家に飾るようになった。写実的静物画。

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アントニオ・ベルッチ「キリスト降架」1718年頃
アントニオ・ベルッチ「羊飼いの礼拝」1718年頃

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ジャン=オノレ・フラゴナール「丘を下る羊の群」1763-65年
フラゴナールは、18世紀フランスのロココ絵画を代表する画家。フラゴナールがローマ留学からパリに戻った直後に制作された一連の風景画のうちの一枚。

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アンゲリカ・カウフマン「パリスを千条へと誘うヘクトール」1770年頃
カウフマンは、ローマやロンドンで活躍した新個展主義の女性画家で、歴史画の領域で国際的な成功をおさめた。古代ギリシャの叙事詩「イーリアス」に基づき、スパルタ王妃ヘレネに恋するトロイアの王子パリスに、兄ヘクトールが戦場へ戻るよういさめる場面。

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橋本コレクション
橋本貫志氏(1924-2018)は、古美術品収集家として知られ、1989年から2002年までの間に収集した760点余りの指輪を含む宝飾品約870点を購入。指輪は古代より装飾品だけではなかったことから、文化的に意味のある収集をした。
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●ルネ・ラリック「葉のプリカジュール」1900年頃
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●ルビーに「受胎告知」が彫り込まれている。16世紀、マウントは後世。おそらくヴェネツィア。

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●ヨハン・ハインリヒ・フュースリ「グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ」18世紀
スイス生まれの画家。初期の作品。ボッカチオの「デカメロン」を基にした詩人のジョン・ドライデンの翻案した「テオドールとホノーリア」をモチーフにして描いた。左側は恋人ホノーリアに捨てられた青年テオドール。恋人にしうちを受けて死んで行ったグイド・カヴァルカンティの亡霊が森の中から馬に乗って現れ、恋人に犬をけしかけて襲わせていると言う場面にテオドールが出会う、と言うシチュエーション。

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アリ・シェフェール「戦いの中、聖母の加護を願うギリシャの乙女たち」1826年
シェフェールは、オランダで生まれ、フランスで活動をしたロマン主義の画家。オスマン・トルコ帝国からのギリシャの独立戦争(1821~30年頃)を題材にしている。民族衣装に身を包んだ乙女達が戦火を逃れて洞窟に身を隠し、岸壁に掛けられたイコンに向かって祈りを捧げているところ。

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ウイリアム・アドルフ・ブーグロー「武器の返却を懇願するクピド」1855-56年
ウイリアム・アドルフ・ブーグロー「クピドの懲罰」1855-56年
2015年度購入の初展示作品。


モネの作品などは<常設3>で。


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