国立西洋美術館の<常設展1> <常設展2>からの続き。昨年、松方コレクション展 で見た時の様子は <松方1> <松方2>、その時の常設展の様子は <常設1> <常設2>。今回はその時に載せなかったものを。
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ギュスターヴ・クールベ「波」1870年頃
理想化された古典的絵画を否定し、社会や風俗をありのままに描いたレアリスム(写実主義)の画家。ノルマンディー地方のエトルタの海の絵を描く為に、海辺に家を借りてまでして描いたとのこと。絵筆とペインティングナイフによる質感の描き分けを行っている。クールベは世界で最初の個展を開いた人で、1855年のパリ万博に大作2点出品するも通らず、立腹したクールベは、万博会場の横で個展を開いた。

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ギュスターヴ・クールベ「眠れる裸婦」1858年

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ジャン=バティスト・カミーユ・コロー「ナポリの浜の思い出」1870-72年
19世紀のイタリアは画家にとって憧れの地であり、コローも3度訪れ、戸外のスケッチを行っていた。ナポリ滞在は短かかったものの、ナポリの風景画を何度も描いている。銀灰色のタッチのこの作品は晩年のコローの画風。

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●エドゥアール・マネ「花の中の子供(ジャック・オシュデ)」1876年
収集家エルネスト・オシュデの招きで滞在していたパリ南方のモンジュロンで制作された作品。オシュデ家の長男ジャックが描かれている。横長の画面は、戸口上の装飾画として考えられた為と思われる。

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カミーユ・ピサロ「立ち話」1883年

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ポール・セザンヌ「葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々」1885-86年

松方氏がクロード・モネ宅を訪れ、直接購入するなどした為、モネの作品は18点も収集出来ていた。美術館の一室がモネだけになっているのは圧巻。
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クロード・モネ「並木道(サン=シメオン農場の道)」1864年
印象派前の23歳のモネ。光をとらえようとしている傾向が現れている。色をじかに塗る筆触分割が始まっている。

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クロード・モネ「黄色いアイリス」1914-37年頃

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クロード・モネ「チャーリング・クロス橋、ロンドン」1902年頃

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クロード・モネ「ウォータールー橋、ロンドン」1902年
モネは、テムズ川沿いのサヴォイホテルに逗留。冬のロンドンの霧を描きに行っていた。

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クロード・モネ「雪のアルジャントゥイユ」1875年

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クロード・モネ「睡蓮、柳の反映」1916年
モネが睡蓮をモチーフにした絵は200点以上にも及ぶ。
この絵がこうなってしまったエピソードは、AIによる修復予想図などと共に、昨年の松方コレクション展で詳しく説明されていた。その様子は他のモネの作品と共に <松方2> で。

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内藤コレクション展
内藤裕史氏による中世ゴシック期の彩色写本のコレクションが、国立西洋美術館に寄贈されたことによる展示。断片化を通じて「書物から美術品に変身」するとの考えから、完本の写本ではなく、異なる写本の一枚ごとに切り離された零葉を集めることに拘って来たとのこと。
今回の展示は、15~16世紀の西ヨーロッパ(イギリス・フランス・ネーデルラント)で制作された作品で、一般の信者が、日々の定められた時間に朗読する聖書の抜粋や祈禱文などを納めた時禱書。王侯貴族や裕福な市民が注文した。15~16世紀はルネサンス美術期であり、写本挿絵にも影響を与え、より自然で現実感のある人物描写や広がりのある空間表現を持つものがあるとのこと。

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●ブルネット・ラティーニ『宝典』より:第二巻冒頭「枢要徳の擬人像」1460年頃
フィレンツェの人文主義者ブルネット・ラティーニが13世紀半ばに執筆した、百科事典の『宝典』の写本。4人の女性は枢要徳の節制・剛毅・正義・賢明の擬人像。余白の装飾は、ふたりの画家の手によるもの。

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●時禱書より:聖杯を持つ福音書記者聖ヨハネ「とりなしの祈禱」1430年頃
ヨハネに神へのとりなしを乞う祈りの冒頭部分の一葉。手の杯からは蛇と竜が描かれ、それが有毒であることを示しており、ヨハネが十字を切り、毒を無効化しようとしている。

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●時禱書により:受胎告知(表)リュソンの画家による 1405-10年頃
舞い降りる白い鳩は聖霊を、百合の花はマリアの純潔を表わす。裏面には、葉飾イニシアルのDとVが書いてある。

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●時禱書より:キリスト降誕 ジャン・コロンブの工房に帰属 1485年頃
15世紀後半フランスの代表的な写本画家のひとりであるジャン・コロンブの工房で制作された。朽ちかけたうまやは奥行きが強調されており、窓の奥には風景が広がる。天使達が巻紙を持っているが、聖母の時禱における一時課冒頭の言葉が書かれている。

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フィンセント・ファン・ゴッホ「ばら」1889年
ゴッホは、1888年末に南仏アルルにゴーギャン(ゴーガン)と共同生活を始めるも、精神病になる。この作品は、翌年である1889年に入院したサン=レミの精神療養院に咲くバラを描いたもの。最晩年の作品に特徴的な激しくうねるような筆遣いが表れている。その翌年の1890年に自殺。

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ポール・ゴーガン「ブルターニュ風景」1888年

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ポール・ゴーガン「海辺に立つブルターニュの少女たち」1889年
1888年夏にフランス北西部の小村ポン=タヴェンに滞在していたゴーガンは、来訪したエミール・ベルナールに刺激され、明瞭な輪郭線に囲まれた色面で画面構成する「クロワゾニスム」の技法を取り入れた。自然の忠実な再現よりも主観的な感覚を重視し、後に象徴主義画家の旗手となる。

そのベルナールやランソンの作品は、<常設2> で。

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●フランク・ブラングィン「しけの日」
1889年
イギリス人画家ブラングィンと松方幸次郎は1910年代末に出会い、松方コレクションに助言や影響を多大に与えた。
ブラングィンによる松方氏の肖像画などの様子は <松方1> で。

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●ダンテ・ガブリエル・ロセッティ「夜明けの目覚め」
 新収蔵作品。

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エドモン=フランソワ・アマン=ジャン「日本婦人の肖像(黒木夫人)」1922年
松方幸次郎の姪の黒木竹子は、大蔵省の委嘱で国際金融情勢を調査する目的でパリに滞在していた黒木三次の妻。黒木夫妻は画家や美術関係者と親しく、美術品を積極的に蒐集し、ジヴェルニーのアトリエで松方にモネを引き合わせた。アマン=ジャンが和服姿の竹子を描いた背景には、モネにも通じる当時の日本趣味がある。(画像は、光の映り込みが酷かったので、斜めから撮った為)
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ロヴィス・コリント「樫の木」1907年
2018年度購入の新収蔵作品。コリントは、ドイツの印象派を代表する画家で、パリのアカデミーで学んだ写実主義、ベルリン分離派参加以降のフランス印象派、その後の表現主義的な作風と、多様なスタイルを見せた人。

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フェルナン・レジェ「赤い鶏と青い空」1953年

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シャイム・スーティン「心を病む女」(狂女)1920年

ルノワール、ピカソ、ミロ、ブラック、ポロック、藤田嗣治などの作品は、<常設2> で。
長々となったが、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展と共に常設展も楽しむことが出来、非常に充実した一日となった。


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