<1> <2> からの続き。


●「ナパーム弾」ピューリッツァー賞を受賞し、アメリカ当局の戦争に対するスタンスを変えたと言われる、ベトナム系アメリカ人写真家のニック・ウトによる写真「戦争の恐怖」あるいは「ベトナムのナパーム弾」に基づく。アメリカ軍の諜報によってベトコンの部隊がチャンバン村に潜伏しているとされ、1972年ナパーム弾を投下。子供たちを含む普通の村人たちが爆撃の犠牲者となった。9歳の少女キムフックは、燃えている服を脱ぎ捨て痛みで泣き叫びながら走っていた。ニック・ウトは彼女と他の子供達を病院に連れて行き、キムは生き延びたが、17回も外科手術を受けなくてはならなかった。アメリカ文化のアイコンのような二人に手を引かれているが、それぞれの表情が何とも印象的。
●「CNDソルジャーズ The Campagne for Nuclear Disarmanet Soldiers」イギリスの国会議事堂前に設置したが、すぐに撤去された。
●「ヘビー・ウェポンリー」2003年バルセロナの通りに描かれた。第二次世界大戦中に、ベルリンに爆撃があり、動物園のゾウが死んだことによる。


●「バッド・ミーニング・グッド 悪こそ善なり」シリーズとなっており、機関銃がスニーカーを履いているもの、軍用車にリボンとウサギの耳が描かれたもの、パトカーに車輪やタイヤがないもの、カラスに襲われる監視カメラなどがある。


●「フラッグ」2006年、アンダーグラウンド・アーティストのグループがロンドンのオックスフォード・ストリートで「サンタズ・ゲットー」というキャンペーンを実施。世界的なアーティスト30人の作品が手頃な価格で販売された。バンクシーは、販売用としてこの作品をゴールドとシルバーの色違いで制作。これまでストリートで描かれたことのないもので、最初の版画シリーズは2006年に発売され、「ゴールデン・エディション」はベツレヘムでの「サンタズ・ゲットー」の開催初日に合わせて2007年に発売された。2つの作品で合計6万ポンドを売り上げ、その半分は眼科治療を専門とする病院へ、残りの半分は難民センターを運営する団体へ寄付された。
この版画のもととなっているのは、1945年に摺鉢山で撮影された写真「硫黄島の星条旗」。この写真はピューリッツァー賞を受賞し、後にアーティストのフェリックス・ド・ウェルドンは、これをもとに米国海兵隊の記念碑を制作。バンクシーの作品では、壊れた車の上に星条旗を立てているのは写真の兵士ではなく十代の子供達。
解釈はさまざま。「アメリカン・ドリーム」を追い求める子どもたちの姿だとも、一般の人々が統治制度に勝利した瞬間とも、軍の華々しいプロパガンダとも、過剰な軍事費によって子どもたちに対する国の支援が滞り彼らは壊れた自動車の上で遊ばざるを得ないとも。
●ディズマランド バンクシーがプロデュースしたテーマパークで、イングランドのウェストン=スーパー=メアにて、2015年5週間の期間限定で開催。ダミアン・ハーストやジェニー・ホルツァーなど、バンクシーを含む計58名のアーティストによる作品が展示された。入場料は当日3ポンド、5歳以下は無料。会期中に延べ15万人以上が来場し、地元への経済効果は約2000万ポンド(約35億円)。ディズマランドで使用された木材や設備は、閉園後、フランスのカレーで難民キャンプのシェルター建設に利用された。


●「ハッピー・チョッパーズ」2002年 「チョッパー」とはアメリカのスラングで、ヘリコプターのこと。
●「ウォールド・オフ・ホテル Walled of Hotel」 壁で分断されたホテル。2011年にバンクシーがイスラエルに建てたホテルの一室が再現されている。イスラエルがパレスチナとの間に立てた壁の横にあるホテルで、世界一眺めの悪いホテルとされている。NYの最高級ホテル
Woldolf Astoria
を皮肉ったもの。彼の目的はイスラエル人にこのホテルに泊まってもらって、いかに壁がパレスチナ人にとって苦痛なものかを知ってもらうことだったのだが、イスラエル人は自治区に滞在することが禁じられていた為、泊まれない。是非このホテルに泊まってみたいが、我々がパレスチナ人自治区を含むイスラエルに行ったのはもっと前だったので残念。
2005年にロンドンで開催されたクルード・オイルズ展では、来場者一人一人に入り口でポストカードが配られた。「良いアートはそうであるべき(そして、全てのアートは良い物であるべき)」とバンクシーが言うように入場無料。一見すると、普通の個展に見えたが、その個展には世界でも最高傑作とされる20点の絵画のパロディ・キャンバス絵とユニークな彫刻が置かれており、200匹の生きたネズミもそこに居たのだそう💦




●「バンクシーVSブリストル・ミュージアム」2009年、ブリストル・ミュージアムでバンクシーの個展が開催され100点以上が公開。その年のイギリスで一番多い来場者数となったが、入場無料で、バンクシーの報酬は1ポンドのみ。ポストカードだけが売られたが、バンクシー曰く「納税者の金が自分の作品を消すのではなく飾るのに初めて使われた初めてのショーだ」と。
作品がオークションにかかると、個人の所有となり一般に見られないので、オークションの前に一般公開することにしたと。ただ、より多くの人の関心を集め、ひいてはオークションでより高額な落札価格になるので、ひとつの戦略とも言える。
<4> に続く。
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