村上隆と李禹煥の作品 <1> からの続き。
草間彌生
2016年に『タイム』誌で「世界でもっとも影響力のある100人」に選出された草間彌生。
2010年に初めて開催された「あいちトリエンナーレ」ではメインアーティストとして参加され、オープニング時のレセプションでは真っ赤な水玉模様の服に身を包み、独特の語り口を聞くことも出来、数多くの作品(プリウスまで!)があった。(オープニングの様子は こちら、JR名古屋タカシマヤでのプレイベント作品は こちら、出品作品の様子は こちら、水玉プリウスカーの様子は こちら や こちら、納谷橋会場のソファは こちら )
90年代になると、そのポップな作風が再評価されるようになる。
作品は、「常同反復」「増殖」「集積」と呼ばれる、水玉や網目模様や突起などの造形が繰り返される表現を特徴としており、これらは幼少期から度々経験する幻覚や幻聴の影響だそう。ネットペインティングも水玉も突起物も、キャリア70年ではあるが、初期の頃から完成している。
ソフト・スカルプチュア(柔らかい彫刻)は、ファルス(男根)で覆われた立体作品3点。
白い方は「トラヴェリング・ライフ」1964、金色の方は「無題(金色の椅子のオブジェ)」1966
「ピンクボート」1992
「ミシガン湖」1959
「No.A」1959 1957年28歳の時にNYへ。2年後に個展で発表したミニマリズムを先取りしたこの作品が反響を呼ぶ。
「無限の網」1965
「芽生え」1992
「天上よりの啓示(B)」1993
巨大なキャンバスにびっしり描かれている。1993年の第45回ベネチア・ビエンナーレに日本館代表として出品された作品。
2009年以降、「わが永遠の魂」シリーズが始まる。1000枚描くと決めて、既に600点は描いており、今現在も、週に数点のペースで描いている。テーブルにキャンバスを置いて周りの四方から描いていて上下がない作品も。
「女たちの群れは愛を待っているのに、男たちはいつも去っていってしまう」2009
「季節に涙を流して」2015
「たくさんの愛のすばらしさ」2019 生命の賛歌のシリーズのひとつ。
ほかに、撮影は禁止だったのだが、ミラールームなるものもあり、鏡に囲まれた所定の場所からのぞき込むと、色々なカラフルな草間彌生ワールドが見られるしくみとなっていた。宮島達男
「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」というコンセプトに基づき、1980年代半ばからLEDを用いて1~9までの数字が変化するデジタルカウンターを使ったインスタレーションや立体作品を中心に、数字を通して生と死を表現している。1988年(31歳)で参加したヴェネチア・ビエンナーレで「時の海」を発表し世界デビュー。
「時の海ー東北」プロジェクト(2020 東京)2020
数字は9から1へのカウントダウンしていくが、0(ゼロ)は表示されずLEDは暗転し死を意味し、生と死が繰り返されることを表現。2017年からは東日本大震災犠牲者の鎮魂と震災の記憶の継承を願い、最終的に3000個のLEDカウンターを東北地方に恒久設置することを目指す「時の海ー東北」を制作。誰の中にもアートはあると言うArt in You と言う考えを90年代からしており、社会的参加型プロジェクトとしている。現段階では、719人からのライトによるもので、次のひとりに誰でもなれる仕組みとなっており、配置された番号のひとつひとつは誰の番号かも解説されていた。仏教の世界観に「三千大千世界」と言う全宇宙を表す仏教用語があり、目標を3000個としている。ゆくゆくは、3000個のカウンターを東北で常設展示したい、とのこと。コバルトブルーやエメラルドグリーンの色は海がイメージされており、宮島氏は「あのとき(3月11日)に会いにいくための作品になってほしい」と。「あのとき感じた怒りや絶望、畏怖、人の優しさ、つながり、あのときに信じた友情、希望、人の心、強さ、反省、あのときの決意、約束。あの人に会いに行く、あのときの私の心に会いに行く、あのときの誰かの思いに会いに行く、そんな場所にしたいと考えています。」と。
「30万年の時計」1987 10分の1秒から、1秒、10秒と桁が上がっていき、14桁がある。理論上は30万年以上の時を刻むことが出来る時計。永遠や無限を表現しようとしている。
「Monism / Dualism」1989 一元論・二元論という名前の作品。よくよく見ると、横向きに数字がある。
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