脚本家レジナルド・ローズによる「十二人の怒れる男(たち)」は、1954年にアメリカでテレビドラマとして放送され、1955年に舞台化。そして1957年にヘンリー・フォンダ主演で映画化され、私の大好きな映画のひとつでもあり、堤真一氏主演で上演されたので行ってみた。
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(以下の画像はHPやステージナタリーより)
四方を客席に囲まれたセンターステージの中央に大きなテーブルが置かれ、役者達はそのテーブルについての会話劇。ステージに近い席は追加で販売され、簡易なパイプ椅子でマスクのみならずフェイスガードも装着しての観劇となっていた。
ステージ

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父親殺しの罪で裁判にかけられる少年を巡り、陪審員12人が評決を下すのだが、全員同じ結論に達さなければならない。当初、12人中11人が有罪で一致し、堤真一氏扮する陪審員8番だけが無罪を主張、そこから物証や目撃証言等についてひとつひとつ検証していく。
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何処の座席から見るかによって、テーブルに着いた役者の背中ごしだったり真正面だったりと異なることから、舞台正面側に居た私と、反対側にいた友人とでは聞え方も違った。ベンガル氏が座長なのだが声量があまりなく聞え辛かった。一方、吉見氏の声は始終はっきりとしていて、背中側の友人も良く聞えたとのこと。また、溝端順平氏の声もはっきりとしていて、予想以上に(失礼💦)良かった。石丸幹二氏は、福田雄一氏の台本・演出で山田孝之氏と共演したミュージカルの「ペテン師と詐欺師」(その様子は こちら)で見たのだが、今回は陪審員メンバーのひとりと言った感じ。声質は良く通っていたが、大きな声とはいかず、背中向きだった私にとっては正面を向いて話している堤真一氏の声よりも小さく聞えた。堤真一氏の背中側の席だった友人は、真後ろの時の声量は小さく、少し堤氏が横にずれたり向きを変えると聞えやすい状態だったとのこと。
- ステージナタリー
割と近くで見られた我々でそうなのだから、2階や3階席からだと、テーブルのある部屋の隣と設定されている洗面エリアは舞台の隅にあるので、そこでの台詞が聞えたかどうか微妙かなぁと。集音マイクで補助すると言う方法はないのかな。
映画では画面のひとつのアングルが人の動きや言葉を映し出すが、舞台だと話している人以外の人達のお芝居を俯瞰して観られる面白さを感じた。
テレビで見る俳優さん以外の方々も、ひとりひとりがとても素晴らしいのだが、吉見一豊氏と山崎一氏が、無罪を主張する堤真一氏に特に反する急先鋒となっての熱演がとても良かった。
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山崎一氏が有罪を主張する最後のひとりとなるのだが、彼の最後の台詞を残る11人が見る時、私からは山崎一氏の背中を、他の全員がこちらを向いている状態。その為、最後の山崎氏の表情などが見られなかったのだが、終演してからの挨拶や、カーテンコールでの再度の挨拶の時にも、目頭を押さえるような動きや顔を拭くようなしぐさをされていたので、涙も流しての迫真の演技だったのかも。
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舞台と言うものは、まず脚本、そして役者だなと、改めて感じさせてもらった。全く休憩もなくぶっ通しの2時間超の舞台なのだが、時間を全く感じさせない素晴らしい舞台だった。