昭和記念公園にコスモスを観に行った。
日本で多数のコスモスを見るのは、長野県の佐久で100万本のコスモスや(その様子は こちら)、コスモス街道(その様子は こちら)以来。南アフリカで見たコスモスの街道の様子は こちら
黄花コスモスも面積はそれほどはないものの、綺麗に咲いていた。
お天気が良かったので、みんなの原っぱ からも、展望台からも富士山が良く見えた。
前回昭和記念公園を訪れたのは、昨年イチョウを見に来た時だったが(その様子は こちら)、今回は時間があまりなく以前に割愛した「こもれびの里」や「日本庭園」などを。
こもれびの里
旧石池住宅の長屋門。江戸時代、長屋門は名主でも名字帯刀が許された格式高い家でしか建てられなかった。文化・文政年間(19世紀初頭)の建立と推定される。
こもれびの里では、調度、お米の脱穀などの実演をされていた。
花の丘
日本で多数のコスモスを見るのは、長野県の佐久で100万本のコスモスや(その様子は こちら)、コスモス街道(その様子は こちら)以来。南アフリカで見たコスモスの街道の様子は こちら
黄花コスモスも面積はそれほどはないものの、綺麗に咲いていた。
お天気が良かったので、みんなの原っぱ からも、展望台からも富士山が良く見えた。
前回昭和記念公園を訪れたのは、昨年イチョウを見に来た時だったが(その様子は こちら)、今回は時間があまりなく以前に割愛した「こもれびの里」や「日本庭園」などを。
こもれびの里
旧石池住宅の長屋門。江戸時代、長屋門は名主でも名字帯刀が許された格式高い家でしか建てられなかった。文化・文政年間(19世紀初頭)の建立と推定される。
母屋では、養蚕の様子も。


祭礼幟(さいれいのぼり)の飾り彫刻が展示してあった。江戸時代末期から明治初頭にかけて、武蔵野の村々では、鎮守の神社の祭礼時には、大きな幟旗を立てて豊年を祝っていた。「大のぼり」と呼ばれ、木の飾り彫刻が取り付けられていた。この彫刻は「砂川五番組祭礼幟彫刻」で、万延元年(1860年)制作。大幟の大きさは長さ12.4メートル、幅1.2メートル、柱寸法は長さ16メートル、直径23センチとのこと。


こもれびの里では、調度、お米の脱穀などの実演をされていた。
日本庭園
葉が徐々に色付き始めていた。
ホトトギスが綺麗に咲いていた。
ジニアも咲いていた。


未だ時期としては早かったが、イチョウ並木を覗いてみた。銀杏の絨毯になっていて臭い💦


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