東京国立博物館の 本館(その1、その2、その3)と 東洋館(その1、その2)を見学した後、平成館 と 法隆寺宝物館 へ。
平成館 6月に訪れた時とほぼ同じ展示内容かと思われた。(その時の詳細は こちら)
法隆寺宝物館 6月時点では公開していなかった二階の展示を。一階の様子は こちら
左から:白檀香、栴檀香、沈水香 飛鳥~奈良時代 7~8世紀 重要文化財
大桝や一升枡 室町時代 重要文化財
左:鵤寺倉印 平安時代9~10世紀、右:法隆寺印 飛鳥時代7世紀 いずれも重要文化財
海磯鏡 唐時代または奈良時代 8世紀 国宝
法隆寺献納宝物に2面ある海磯鏡の1面。鏡背の文様には、樹木・獅子・禽獣・人物が点在する四岳と、波間に漂う舟上の釣人・小禽を表す。光明皇后が天平8年(736)の聖徳太子の命日に法隆寺に納めたことが記されている。
墨台・水滴・匙 奈良時代または唐時代 8世紀 国宝
銅板に金メッキした金銅製の文房具。法隆寺では、この3種と黒漆塗りの縁をもつ瓦硯(猿面硯)とを一式として、聖徳太子が「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を執筆した時に用いたものと伝えている。
竜首水瓶 飛鳥または唐時代 7世紀 国宝
竜をかたどる蓋と把手を付けた勇壮な姿の水瓶。胴には四頭のペガサス(天馬)を線刻で表す。胡瓶とも称される器形に、東洋と西洋にそれぞれ起源をもつ竜とペガサスの意匠。器胎の金銀の色彩対比とともに、竜眼は緑色ガラス製。
鵲尾形柄香炉 飛鳥時代 7世紀 国宝
柄端の形が,鵲(カササギ)の尾に似ることから。鍛造製の大振りで簡素な造形は、鵲尾形柄香炉のなかでも古様。聖徳太子の師である慧慈法師所用との寺伝がある。
赤く染めた象牙に、撥鏤(撥ね彫り)の技法を用いて文様を表わした尺(ものさし)。表面は、上半部を5つの区画に区切って、宝相華と鴛鴦(おしどり)を交互に配し、下半にも鴛鴦を描く。また、裏面にも、鴛鴦と草花文を表わしている。正倉院宝物の紅牙撥鏤尺によく似ているが、彫法などにやや素朴な趣があり、舶載品に倣(なら)ってわが国で作られたものと考えられる。なお、尺の長さは、当時使用されていた天平尺の標準的な値を示している。

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平成館 6月に訪れた時とほぼ同じ展示内容かと思われた。(その時の詳細は こちら)
法隆寺宝物館 6月時点では公開していなかった二階の展示を。一階の様子は こちら
左から:白檀香、栴檀香、沈水香 飛鳥~奈良時代 7~8世紀 重要文化財
大桝や一升枡 室町時代 重要文化財
左:鵤寺倉印 平安時代9~10世紀、右:法隆寺印 飛鳥時代7世紀 いずれも重要文化財
海磯鏡 唐時代または奈良時代 8世紀 国宝
法隆寺献納宝物に2面ある海磯鏡の1面。鏡背の文様には、樹木・獅子・禽獣・人物が点在する四岳と、波間に漂う舟上の釣人・小禽を表す。光明皇后が天平8年(736)の聖徳太子の命日に法隆寺に納めたことが記されている。
墨台・水滴・匙 奈良時代または唐時代 8世紀 国宝
銅板に金メッキした金銅製の文房具。法隆寺では、この3種と黒漆塗りの縁をもつ瓦硯(猿面硯)とを一式として、聖徳太子が「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を執筆した時に用いたものと伝えている。
竜首水瓶 飛鳥または唐時代 7世紀 国宝
竜をかたどる蓋と把手を付けた勇壮な姿の水瓶。胴には四頭のペガサス(天馬)を線刻で表す。胡瓶とも称される器形に、東洋と西洋にそれぞれ起源をもつ竜とペガサスの意匠。器胎の金銀の色彩対比とともに、竜眼は緑色ガラス製。
鵲尾形柄香炉 飛鳥時代 7世紀 国宝
柄端の形が,鵲(カササギ)の尾に似ることから。鍛造製の大振りで簡素な造形は、鵲尾形柄香炉のなかでも古様。聖徳太子の師である慧慈法師所用との寺伝がある。
赤く染めた象牙に、撥鏤(撥ね彫り)の技法を用いて文様を表わした尺(ものさし)。表面は、上半部を5つの区画に区切って、宝相華と鴛鴦(おしどり)を交互に配し、下半にも鴛鴦を描く。また、裏面にも、鴛鴦と草花文を表わしている。正倉院宝物の紅牙撥鏤尺によく似ているが、彫法などにやや素朴な趣があり、舶載品に倣(なら)ってわが国で作られたものと考えられる。なお、尺の長さは、当時使用されていた天平尺の標準的な値を示している。

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コメント
コメント一覧 (2)
そうなると伝統維持の観点から政府方針への抵抗も あっ 反抗 というのも(・_・;
な~が nagacumatz
が
しました