館内の企画展や常設展を見た後(その様子はその1その2で)、周囲を散策。

美術館が急斜面に建っていることもあるが、エントランスから美術館本館まで約60mの高低差があり、総延長200mにおよぶ7基のエスカレーターが設置されている。
DSC_1694エスカレーターの壁面や天井は照明が刻々と変化し、色彩のグラデーションを楽しめ、 エスカレーターの途中に直径約20mの「円形ホール」があり、催し物などに使用されている。 設置にあたっては、自然環境をそこなわないようとの配慮からオープンカット方式を採用し、山の斜面を上から掘り下げて通路を設置し、完成後もう一度土を盛って木を植え、元通りの山に復元したとのこと。

日本最大のマッピングされた万華鏡直径約20m、高さ約10mの巨大なドーム型の円形ホールでは、世界最大の万華鏡フェスティバル「ブリュースター・カレイドスコープ・ソサイエティ」において、日本人としてはじめて2年連続グランプリ(2005、2006)を獲得した依田満・百合子夫妻の万華鏡が映写されている。この万華鏡のために作曲家・中村由利子氏が新たに制作した音楽が流れている。壁はイタリア産の大理石(一部分ポルトガル産)を使用し、石の模様が連続するように合わせ、床は、イタリア、ポルトガル、インド、イラン、キューバ、ギリシアの6カ国から集めた10種類の大理石を幾何学模様に組み合わせてある。
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円形ホールだけでも面白い。

ムアスクウェア 海抜約250mに位置する相模灘を望む広場。イギリスの彫刻家ヘンリー・ムア(ムーア)の「王と王妃」がある。
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アントワーヌ・ブールデル「アポロンと瞑想 走りよる詩神たち」 
高さ3メートル、全長約14メートルの巨大なレリーフ。1910年にパリのシャンゼリゼ劇場の為に制作され、ブールデル美術館にある石膏像をもとに鋳造された。
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竹林も綺麗で、ちょうどツワブキが咲いていた。
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日本庭園 
片桐門 豊臣家の重臣で、賤ヶ岳七本槍の一人として知られる片桐且元が薬師寺の普請奉行をつとめた際の宿舎の正門。当時且元は馬上のままここを通行したと伝えられている。その後、奈良慈光院に移され、ついで昭和16年神奈川県大磯町の三井家別邸城山荘内に移築されていた。
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「光琳屋敷」(復元)  尾形光琳が自ら描いた図面と大工の仕様帖、茶室起し図が含まれる小西家文書と呼ばれる資料(重要文化財)に基づき、数寄屋建築研究の権威、堀口捨己博士の監修により復元した屋敷。光琳は、正徳2年(1712)頃に京都の新町通り二条下ルの地に屋敷を建て、最晩年の5年間を過ごし、2階の絵所(アトリエ)で光琳晩年の最高傑作、国宝「紅白梅図屏風」を描いたと考えられている。間口7間半、奥行13間ほどの敷地に、建坪約90坪の数寄屋造で、江戸時代の町屋建築を伝える貴重な資料。
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屋敷内には5畳半と3畳の茶室が設けられ、3畳の茶室は光琳の号「青々」にちなんで「青々庵」と名付けられ、扁額は日本画家・奥村土牛氏によるもの。
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暖かい伊豆は未だ紅葉の見頃には早かったが、それでも150本以上あるというモミジが色づき始めていた。左の塔は、石造国東(くにさき)塔。元来は納経や供養などの為に造立されたもの。
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石造十三重宝塔は、先端の宝珠はないが、鎌倉期の塔。
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