土肥温泉に行くにあたり、熱海に立ち寄った。前回は熱海の MOA美術館(その様子は その1、その2、その3 )、そして 起雲閣(その様子は こちら)に行ったので、それ以外の所へ。
朝早くに出たので、太陽を浴びてピンク色になった富士山を見ることが出来た。
來宮神社
江戸末期までは「木宮明神」と言われていたが、木に人が集まると言うことで、木の下に人を書いた「來宮神社」となった。
この神社には大楠伝説なるものがある。安政6年(1859年)に熱海村に大網事件という漁業権をめぐる事件が勃発。訴訟費等の捻出の為に、7本あった楠のうちの5本が伐採された。そして残った大楠をも伐ろうと幹に大鋸を当てようとしたところ、白髪の老人が現れ両手を広げて遮るような姿をした。するとその大鋸は折れ、白髪の老人は消えてしまったと。これは神のお告げであるとして、村人達は大楠を伐ることを止め、現在は御神木となっている。
その大楠は以前は遠くからでも見えたそうだが、楠への小路を通って御神木を見てもらおうと、参道の整備と共に竹を3000本植えたが、「隣のトトロ」の一場面のイメージなのだそう😂
また、第二の大楠と言われる大木もある。樹齢は1300年を超え、約300年前に落雷を受け、木の中身は殆ど空洞にもかかわらず、今なお成長し続けているとのこと。
弁財天が祀ってある下には、弁天岩がある。古来神々が宿っていたと伝えられる磐座(いわくら)。
歴史のある神社だが、それにしても斬新だったりする。「魔を滅す=節分にマメを撒く」のだからコーヒーも豆だし良いだろうとカフェまで。
別の茶寮もあり、泉が湧いていたりもする。
その努力の甲斐あり、2019年には参拝客が7倍の約72万人になったのだそう。
丹那トンネル
丹那(たんな)トンネルは、東海道本線の熱海駅〜函南駅間にある複線規格のトンネル。総延長7,804メートル、1934年(昭和9年)開通。完成当時は清水トンネルに次ぐ日本第2位の長さで、鉄道用複線トンネルとしては日本最長だった。
工事は、1918年(大正7年)に予算770万円(当時)で着手され7年後の1925年(大正14年)に完成する予定だったが、約16年後の1934年(昭和9年)に総工費2,600万円(当時)で完成した。この工事期間の長さと膨れ上がった工費、事故による犠牲者67名(うち熱海口31名、函南口36名)が難工事を象徴している。(wikipedia より抜粋)
丹那トンネル開通後は、それまでは富裕層に限られていた温泉客だったが、一般の人達も来るようになって人気が爆発。
16年もかかった難工事の原因は、芦ノ湖の3杯分とも言われる水が出たことによるもので、延べ250万人も動員された。トンネルを掘った時の湧き水は、1日に37500トンもあり、熱海の水不足を解消してくれた。水は当初は川に流していたが、水源として現在も使われている。丹那トンネルのそばで水を貯め、水圧もちょうどで問題なく勾配を利用して各戸に水を配っているのだそう。
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朝早くに出たので、太陽を浴びてピンク色になった富士山を見ることが出来た。
來宮神社
江戸末期までは「木宮明神」と言われていたが、木に人が集まると言うことで、木の下に人を書いた「來宮神社」となった。
以前は隆盛を誇っていた熱海だが、2011年には宿泊客がピーク時の半分にまで減ってしまった為、40項目ほどの改革を行ったとのこと。インスタ映えする場所には、携帯を置いて写真が撮れるようにと台が設置され(ディズニーランドの設置の様子からヒントを得られたとか・・・)、手水の所では水の変わりに手消毒用のアルコールが置かれているのは今ならでは💦
以前は扉が閉まっていて中が見えなかったが、本殿を総ガラス張りに変更。最初は全く意図されていなかったそうだが、掃除していた落ち葉がハート型になっていて観光客に喜ばれて以降、神職の遊び心で続けられているのだとか。この神社には大楠伝説なるものがある。安政6年(1859年)に熱海村に大網事件という漁業権をめぐる事件が勃発。訴訟費等の捻出の為に、7本あった楠のうちの5本が伐採された。そして残った大楠をも伐ろうと幹に大鋸を当てようとしたところ、白髪の老人が現れ両手を広げて遮るような姿をした。するとその大鋸は折れ、白髪の老人は消えてしまったと。これは神のお告げであるとして、村人達は大楠を伐ることを止め、現在は御神木となっている。
その大楠は以前は遠くからでも見えたそうだが、楠への小路を通って御神木を見てもらおうと、参道の整備と共に竹を3000本植えたが、「隣のトトロ」の一場面のイメージなのだそう😂
また、第二の大楠と言われる大木もある。樹齢は1300年を超え、約300年前に落雷を受け、木の中身は殆ど空洞にもかかわらず、今なお成長し続けているとのこと。
弁財天が祀ってある下には、弁天岩がある。古来神々が宿っていたと伝えられる磐座(いわくら)。
宮神輿 毎年7月14~16日に例大祭が開催される。約1300年前に、漁師の網に後神像がかかり、漁師が麦こがし・百合根・橙・ところをお供えしたことから、祭りは「こがし祭り」とも。麦こがしを撒く猿田彦命(天狗)の先導で、42歳の地元男性が來宮の神々を御鳳輦に乗せ、市街や浜に降りる。100年以上続く伝統で総勢500人の御神幸行列となる。
歴史のある神社だが、それにしても斬新だったりする。「魔を滅す=節分にマメを撒く」のだからコーヒーも豆だし良いだろうとカフェまで。
別の茶寮もあり、泉が湧いていたりもする。
その努力の甲斐あり、2019年には参拝客が7倍の約72万人になったのだそう。
丹那トンネル
丹那(たんな)トンネルは、東海道本線の熱海駅〜函南駅間にある複線規格のトンネル。総延長7,804メートル、1934年(昭和9年)開通。完成当時は清水トンネルに次ぐ日本第2位の長さで、鉄道用複線トンネルとしては日本最長だった。
工事は、1918年(大正7年)に予算770万円(当時)で着手され7年後の1925年(大正14年)に完成する予定だったが、約16年後の1934年(昭和9年)に総工費2,600万円(当時)で完成した。この工事期間の長さと膨れ上がった工費、事故による犠牲者67名(うち熱海口31名、函南口36名)が難工事を象徴している。(wikipedia より抜粋)
完成までに大事故が6度起こり、上記死者67名に加え、重傷者610名にもなった。トンネルの真上には碑がある。
見ることが出来なかったが、「皇紀」による年号がトンネルの入り口に掲げられている。ふたつの年号は、2578(=大正7年、1918年)と2594(=昭和9年、1934年)。トンネルの工事期間を示している。
救命石なるものが祀ってあった。大正10年(1921年)に、熱海口の坑口から約300メートル奥に入った所で、40メートルほどが崩壊。崩壊の数分前にこの大石がひっかかり、坑外に出る筈の作業員一同が大石の取り除きを手伝ったが、大崩壊が発生し、全員が坑奥に閉じ込められた。もし大石が引っかからなければ、まさに多数の作業員が崩壊の箇所を通っている時だったとのこと。救命石と命名され、抗門の上の山神社に保存されている。
丹那トンネル開通後は、それまでは富裕層に限られていた温泉客だったが、一般の人達も来るようになって人気が爆発。
大正12年 小田原~熱海間の軽便鉄道 乗客数1.7万人、降客数1.9万人東海道本線はもともと箱根の北側の御殿場経由だったが、丹那トンネル開通後の昭和36年には、年間観光客数が1000万人に急増。その為、水不足が発生。
大正14年 東京~熱海間の熱海線 乗客数38.7万人、降客数37.1万人
丹那トンネル開通後の東海道本線 乗客数191万人、降客数162万人
16年もかかった難工事の原因は、芦ノ湖の3杯分とも言われる水が出たことによるもので、延べ250万人も動員された。トンネルを掘った時の湧き水は、1日に37500トンもあり、熱海の水不足を解消してくれた。水は当初は川に流していたが、水源として現在も使われている。丹那トンネルのそばで水を貯め、水圧もちょうどで問題なく勾配を利用して各戸に水を配っているのだそう。
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コメント
コメント一覧 (2)
列車撮るにはいいアングルだけど・・・
な~が nagacumatz
がしました