「リニューアル・オープン記念展 Ⅲ 美を結ぶ。美をひらく。美の交流が生んだ 6つの物語」の<1>からの続き。

Story4: 西洋への憧れが生んだ和ガラス
16世紀中頃、ポルトガルやスペインの船が日本を訪れ、キリスト教布教を目指す宣教師らは様々な珍しい品を時の権力者に献上。その中に、ガラスでできた器物も含まれており、続く江戸時代の17世紀中頃からガラス器生産が本格化する原動力になった。長崎において、吹き技法で実用的なガラス器が生産され、「びいどろ」や「ぎやまん」を生んだ。

左:「薩摩切子 紅色被碗」一口 江戸時代19世紀、右:「薩摩切子 紅色被栓付瓶」江戸時代19世紀
銅発色による紅色は、日本では薩摩藩がはじめて製造に成功した色。紅色を発色させる為、洋書を参照しながら数ヶ月の研究と数百回の試験を重ねた。紅色の被せ(きせ)ガラスの色むらも。
IMG_0888

「薩摩切子 藍色被船形鉢」江戸時代19世紀中頃 
藩の特産品として、再三度外視で作られ、高級贈答品として珍重された。大きな深いカットの中に細かいカットが入っている。
IMG_0890

「黄色瓢形徳利」江戸時代18世紀後半~19世紀前半 
宙吹きと型吹き技法を組み合わせ、ガラスを三段階に分けて吹いて作られたと考えられる。
IMG_0892

「ガラス簪(かんざし)、笄(こうがい)」江戸~明治時代 19世紀 
IMG_0894

「切子文具揃」江戸~明治時代 19世紀 無色透明の切子で揃えられた文房具。
IMG_0897

Story5: 東西文化が結びついた江戸・明治の浮世絵
絵師・彫師・摺師が一体となって作り上げた木版多色摺の錦絵は、幅広い階層の人々に好まれ、常に最新のモードを反映した浮世絵は、西洋絵画の遠近法・明暗法も取り入れた新たな表現を生み出した。

「江戸高名会亭尽 山谷」歌川広重 江戸時代 天保6~13年(1835~42年)頃 
江戸の有名な料理茶屋の八百善の二階座敷。画面左上の鴨居に飾られているのは谷文晁の「月に芒図」。右には吉原へと続く日本堤を歩く人々、左には家並みの向こうに富士山を配している。
IMG_0900

「東海道五拾三次之内 沼津 黄昏圖」歌川広重 大判錦絵 江戸時代 天保4年(1833)頃
狩野川沿いの沼津宿へ続く街道を行く旅人達。金比羅大権現へ奉納するための天狗の面を背負った参拝者が面白い。遠近法が達成されている。
IMG_0902
「女織蚕手業草」喜多川歌麿 12枚続のうち 江戸時代 寛政10~12年(1798~1800年)頃
蚕が繭となり、糸となって織られるまでを描いた喜多川歌麿晩年の連作。一枚ずつ完結した画面でありながら、並べると部分的に絵柄がつながる演出がされている。退色しているものの、元来「紅嫌い」と言う落ち着いた色合い。精緻な毛割で彫り出された髪や、画面に凹凸を付けて立体感を表す空摺による衣服の文様は光の加減で様々な模様が浮かび上がり、浮世絵が手に持って鑑賞されていたことがわかる。
IMG_0908

IMG_0909

IMG_0912

IMG_0913

Story6: 異文化を独自の表現に昇華したガレ 
アール・ヌーヴォー期を代表するフランスの芸術家エミール・ガレ(1846~1904年)の作品。絵画や彫刻のような「大芸術」のみならず、「小芸術」とみなされていた家具、食器、照明などの工芸品にも目が向けられ、「総合芸術」となった。
IMG_0924

花器「バッタ」 エミール・ガレ 一口 1878年頃 
1878年パリ万博でガレが発表した「月光色ガラス」を用いた作品。金粉を散らしたような表現は、日本の蒔絵の影響。
IMG_0920

花器「おだまき」 エミール・ガレ 1898~1900年 
器はおだまきの蕾の形で、身から台座に向かって伸びたピンク色の部分はおだまきの花弁の後ろ側に伸びる「距(きょ)」を象っている。1898年にガレが特許を取得したガラスの象嵌技法「マルケトリ」を用いている。
IMG_0922

昼顔形花器「蛾」 エミール・ガレ 1900年 パリ万博出品モデル。
IMG_0925

花器「木立」エミール・ガレ 1900年 
浮彫状に表された樹木には、ガラスの表面を化学反応で窯変加工する「パチネ」が施されている。
IMG_0928