街巡りとして、スタンガー Stanger = クワドゥクザ KwaDukuza、ピーターマリッツバーグ Pietermaritzburg、イナンダ Inanda、フェニックス Phoenix & チャッツワース Chatsworth を書いたが、いよいよ真打ち登場のダーバンシティー Durban City を。
ダーバンは、ヨハネスブルグ、ケープタウンに次ぐ南ア第三の都市。ダーバン港はアフリカ最大の港で、世界でも9番目の規模。2019年ダーバンシティーのみの人口は約59万5000人に過ぎないが、近隣を入れると380万人となる。
もともと、1497年に、バスコ・ダ・ガマがクリスマスの日にこの地を発見。ダーバンはクワズル・ナタール州に属するのだが、クワズル(ズールー人の土地)ナタール(クリスマス)という意味。1824年にズールー王国の王様のシャカ・ズールーからイギリスが領土を獲得。イギリス移民が入植し、港の開発が始まった。1835年まではポート・ナタールと言われていたが、当時の植民地総督の名をとって、ダーバンと改称。1842年には、オランダ系のボーア人に一時占領されたこともある。
そんなダーバンシティの中心部は、治安が良くないので、徒歩で廻ることは厳禁の為、車窓から。

ダーバンの一番の目抜き通りである Dr. Pixley Kaseme street。大きなビルなどもあり、市庁舎もある。
ヴィクトリアマーケット Victori Market と言う大きなマーケットがあるエリア。

ワーウィック Warwick Market のエリア。モーニングマーケットなどもある。



高架橋の所は、呪術師などが使うムティ Muti / Muthi の漢方?などを売る薬草マーケット。薬草とは言うが、ここだけは撮影が硬く禁止されていて、禁止されている動物の干物なども・・・詳しくはこちら


メインストリートから少本ずれると、このような人達も居る道になる。。。

昔は綺麗な建物だったのかも知れないが・・・と言う廃屋も。
勿論、綺麗な建物群も。
Durban Club
1899年~1904年。最初の建物は1855年にヴィクトリア朝の建物として建てられた。今のものは3代目。

Quadrant House
Alfred Arthur Ritchie McKinlay の設計による。1929年~1934年。 Majolica Style で、National momument に選ばれている。
旧市役所 現郵便局
Phillip Dudgeon によって1882年にデザインされ1885年に完成。ヴィクトリア朝。1885年~1910年まで市役所として使われ、ウインストン・チャーチルが第二次ボーア戦争の時にプレトリアのキャンプから逃げ出して連行されて来た場所。National Monument に選出されている。

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