もともとは外堀にあった銀座の数寄屋橋。高速道路の建設に伴い外堀が埋められ、区立の公園として残ったのだそうで、そこに岡本太郎氏の時計台「若い時計台」がある。高さ8メートル。

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時計台は1966(昭和41)年、奉仕団体「銀座ライオンズクラブ」から「東京数寄屋橋ライオンズクラブ」が独立したことを記念し、両クラブからの依頼を受けて岡本太郎氏がデザイン。当時の数寄屋橋かいわいは「みゆき族」など最先端のファッションや文化が生まれる街として知られる一方で、集まる若者たちの風紀の低下が問題視されていたといい、時計台製作は「青少年の健全育成」が目的だった。大阪万博の太陽の塔よりも前に造られたが、夜間は作品全体を赤、黄、青、緑にライトアップする。
岡本太郎氏は同所を訪れて「やたら色、形が混乱した雑踏の場。ひどい」と嘆きながら、「ただすっきりとしたものを作ったって埋もれてしまうだけ。激しいと同時に、静まった、周囲と異質でありながらピタリとあの場所に生きる、彩の濃い象徴を」「人間は本来八方に意欲を突き出し、情熱をほとばしらせながら生きたいのだ。時間を超えた時間、機械的でない、人間的な時間を表象したつもり」と。。

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