築地にある電通ビル。昨年4月から取り壊し作業が始まっている。
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丹下健三氏が、当時の電通社長吉田秀雄氏から本社ビルの設計を依頼され、1964年に広く築地エリア全体を対象に「築地再開発計画」を策定。電通本社ビルは、この計画のひとつのピースで、1961年に発表された「東京計画1960」を引き継いだ計画だったとのこと。
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このオブジェは、志水晴児氏作。その去就は二転三転し、杉本博司氏と榊田倫之氏の新素材研究所のはからいで、北杜市にある清春芸術村を終の棲家としたとのこと。
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ピロティの天井には、蛍光灯隠しを兼ねたパーツ化された部材が連続している。
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全く知らなかったのだが、「東京計画1960」にはビックリ! 以下の画像や解説はzeitgeistより抜粋。
東京計画1960_東京人
「東京計画1960」において、東京湾上に伸びる2本の交通網からなる都市軸の内部には業務ゾーンが配置されている。「築地再開発計画」は「東京計画1960」における業務ゾーンのイメージを具体的な築地エリアに落とし込んだもの。電通本社ビルの当初の設計は、この「築地再開発計画」でのイメージを忠実に具現化したものだった。
電通本社ビル
2つのコアのヴォリュームが垂直に伸びる。コアはフロアーを支える構造の役割を担い、コアの間には橋梁のようにトラスに組まれた鉄骨が架け渡され、フロアーを支えながら、そのまま外壁の意匠となる。構造から開放されたオフィスは無柱空間が実現するとともに、全方位の三次元方向に増殖・成長していくことが可能になる。
築地再開発計画部分
しかし、この設計案は実現しなかった。着工寸前に推進役だった吉田社長が死去し、大幅な予算超過となっている設計の変更が要求され、設計を一からやり直しに。(中略)柱・梁をアウトフレームとすることで、結果的に執務空間の無柱化は実現されているものの、キーコンセプトであったコアの発想はなくなり、鉄骨トラスのファサードによる軽さや増殖や成長の途上を思わせる未完成の雰囲気を漂わせた外観のイメージもなくなり、いかにもマッシブな印象の建物になっている。(中略)たまたま構造体が途中で切断された風にデザインされた妻側に、当初の増殖・成長する建物のイメージがさり気なく残されている。
因みに、この電通築地ビルのほか、近隣の電通築地第二ビル、電通築地第三ビル、電通恒産第2ビルの併せて4棟を一斉に取り壊し、築地1丁目界隈を大きく開発する予定だが、未だその後の土地利用の新しい計画等は決まっていないとのこと。